2015年の初日
- 2015/01/01
- 21:39
誰が考えたか?「明けましておめでとうございます。」という言葉。
智 ちに働けば 角 かどが立つ。 情 じょうに 棹 さおさせば流される。意地を 通 とおせば 窮屈 きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが 高 こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと 悟 さとった時、詩が生れて、 画 えが出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒 両隣 りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、 寛容 くつろげて、 束 つかの 間 まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が 降 くだる。あらゆる芸術の士は人の世を 長閑 のどかにし、人の心を豊かにするが 故 ゆえに 尊 たっとい。
勿論、一年の最初という事で気持ちは分からなくは無い。
しかし、めでたいのか?といえば、訳が分からない。
当たり前に行なっている事の起源を調べてみて、それなりの意味があるのでしょうけど、そういうモノにのらないように生きてます。(笑)
しかし、昔の人は凄いですね。暦というモノは。
12の月がある訳で、春夏秋冬で確かにピタリと季候が変わる。これは3で割った場合ですね。
4で割ったり、6で割ったり、区切りというものは確かにありますね。
さて前置きが長くなりましたが、2015年の抱負としましては、
「主張」ですね。
人間関係においては、主張すると面倒な訳です。昔の人は言いました。
「 山路 やまみちを登りながら、こう考えた。
智 ちに働けば 角 かどが立つ。 情 じょうに 棹 さおさせば流される。意地を 通 とおせば 窮屈 きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが 高 こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと 悟 さとった時、詩が生れて、 画 えが出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒 両隣 りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、 寛容 くつろげて、 束 つかの 間 まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が 降 くだる。あらゆる芸術の士は人の世を 長閑 のどかにし、人の心を豊かにするが 故 ゆえに 尊 たっとい。
住みにくき世から、住みにくき 煩 わずらいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、 画 えである。あるは音楽と彫刻である。こまかに 云 いえば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も 湧 わく。着想を紙に落さぬともhttp://www.aozora.gr.jp/gaiji/1-88/1-88-22.png鏘 きゅうそうの 音 おんは 胸裏 きょうりに 起 おこる。 丹青 たんせいは 画架 がかに向って 塗抹 とまつせんでも 五彩 ごさいの 絢爛 けんらんは 自 おのずから 心眼 しんがんに映る。ただおのが住む世を、かく 観 かんじ得て、 霊台方寸 れいだいほうすんのカメラに 澆季溷濁 ぎょうきこんだくの俗界を清くうららかに収め 得 うれば 足 たる。この故に 無声 むせいの詩人には一句なく、 無色 むしょくの画家には 尺http://www.aozora.gr.jp/gaiji/1-90/1-90-17.png せっけんなきも、かく 人世 じんせいを観じ得るの点において、かく 煩悩 ぼんのうを 解脱 げだつするの点において、かく 清浄界 しょうじょうかいに 出入 しゅつにゅうし得るの点において、またこの 不同不二 ふどうふじの 乾坤 けんこんを 建立 こんりゅうし得るの点において、 我利私慾 がりしよくの 覊絆 きはんを 掃蕩 そうとうするの点において、―― 千金 せんきんの子よりも、 万乗 ばんじょうの君よりも、あらゆる俗界の 寵児 ちょうじよりも幸福である。」
旧千円札の夏目漱石さんの「草枕」の冒頭ですけど、ここなんですね私も思うのは。
小説家として存在しておられた漱石さんと比較するには恐れ多いですけど、共感は出来ます。
そういう意味で「主張」ですね。
もとよりこの抱負は2015年だけの話でもありませんけどね。(笑)
皆様、今年も宜しくお願い致します。
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