依存。
- 2016/03/21
- 09:07
何かを他人に依存していると、他人の決定や思惑が重要な事になっていく。
職業柄そうしなければならない方々というのは多いだろう。
上司の決定が影響するポジションとか、顧客の選別が影響するとか、そういう事はある。
しかし、基本的に「他人は他人」である。
他人がどうなろうと、自分に何かの影響がある訳ではない。
「どうなろうと」という言葉は嫌な響きに聞こえるかもしれない。しかし、私の言う「どうなろうと」は、他人が幸せになろうと、という意味あいも含まれている。
人間って一人分の荷しか背負えない。したがって、他の人に代わって人生を背負う事は出来ない。あるのは「自分の荷」。
綺麗事を述べれば、持ちつ持たれつという関係も確かにある。夫と妻とか、家族とか当然の責任だ。
でもやはり、人は「自分の荷」を背負う。
例えば、今まで一緒にいた人が事業に成功して資産家になったとする。「同じような事をやっているのにどうして自分はそれが無いのか?」と考えるのは筋違いという事。
それは、「その人の事」だからだ。
聖書にこうある。「なぜあなたは怒りに燃えているのか。なぜあなたの顔色は沈んでいるのか。善いことを行なうようになれば,高められるのではないか。しかし,善いことを行なうようにならなければ,罪が入口にうずくまっており,それが慕い求めているのはあなたである。あなたはそれを制するだろうか」。
恐れ多くも別の言葉で述べるなら、「君も、やればいいじゃん。」
そう、人ではなく自分。人生の主人公は他人ではない。
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