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平和

セミナーで対人間の平和について考えた。


勿論、平和を求める事は大切だ。争い好きなのは、プロレスだけで十分。



こういう論題の時は、「耐えなさい、忍びなさい、許しなさい」など、精神的な事、感情的な事にのみ論点が置かれる訳ですが、「実際的」な問題解決も必要と考えます。





例えば、アブラハムとロトは牧夫達の争いを平和に解決する為にどうしたか?ヤコブとエサウはどうしたか?





アブラハムは「あなたが右なら私は左に」と、離れるという実際的な解決を行った。



ヤコブは兄のエサウから逃げ、怒りが冷めるのを確認してから近づくよりなかった。



ヨセフも後に兄達が心を改めた事を確認しなければならなかった訳で、しかも彼は兄達に売られ強制的に距離を置かされた訳で・・・。(笑)





そう、「袂を分かつ」事が平和に貢献する訳だ。





ギデオンとエフライム部族の問題に関しては、話し合いで解決出来たとは言えるが、上記の例を含め、ほとんどのこういう問題は「ねたみ、そねみ」が原因といえる。





妬み、嫉みが高じて、恨みになる訳だ。





ちなみにねたみは「どうしてあいつはモテるんだ?」という憤慨なのに対して、

そねみは「どうしてあいつはモテるのに、自分はモテないんだ?」と、消極的な比較をする事をいう。





そねむ人に対して出来る事は、「離れる」以外にない。(笑)何に恨まれるか分からないし、そもそも考えが「消極的」で「自己中心的」で、他の人の足を引っ張る事に生きがいを感じるような人だから。





離れた後は、それぞれの道を歩む事になる訳で、その後の事は「放っておけば」良いんじゃないかな?相手を悪く言う必要は無い。



「あなたが右に行くなら私も右に」という同じ方向に行く決定を下すなら、しっかり話し合う必要があるけど、話し合い不能だから逆に行く訳で・・・。(笑)





何においてもそうですけど、そねむ人間なんていうのは他人な訳で、他人なんて、何とでも言えばいいじゃん?どうせ「他人」なんだし。



いや、下手をすれば他人を超えて「敵」な訳で、どう思われようが、関係ないんじゃん?というかそんな奴に良く思われる必要があるのか?というか敵視する人間が相手を「良く思う」という事は無いだろう。(笑)



「自分の兄弟を得る」という事は、心根の全うな人間にのみ出来る事だよ。そういう人間は話し合いで何とでも解決出来る。兄弟だからね。





人類最初の殺人は、嫉む人と一緒に居たから発生した。



しかし、「そねむ目を持つ人は貴重なものを求めて勇み立つが、窮乏が自分に臨むことになるのを知ってはいない。」(箴言28:22)



なので「したがって、すべての悪、すべての欺まんと偽善とそねみ、またあらゆる陰口を捨て去りなさい。」(ペテロ第一2:1)





そういう事だと思うよ。

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